森本凌司
『揺らぐ痕跡』について
夜空の星々をつないで星座という像を描くように、そしてさらに物語を生みだすように、私たち人間は何かを見るとき、頭の中で像を結び、意味や物語を見いだそうと空想してしまうのかもしれない。見えていること、認識していること以上の何かを見ようとする。あるいは見えている認識を問い直し新たなイメージを描こうと欲しているのかもしれない。
森本の新作『揺らぐ痕跡』は、そんなことを想起させる。
川や道や生物など、旅先や日常の何気ない風景を捉えた映像が大きな布に投影されている。
その布には全面に刺繍が施されている。縦横無尽に行き交うステッチ。そこに映像のイメージが重なり、互いに干渉し混ざり合い、脳内でイメージがまとまることなく脱線し続ける不思議な感覚を覚える。
そんな視覚の戯れのような体験が最初の驚きで、次の驚きは、映像が終わり投影機器が切り替わったとき。展示室には布を挟んで2台のプロジェクターが設置されており、1本の全く同じ映像が、双方の機器から交互に投影される。
光の照射方向が変わると今まで見えていた刺繍の像は姿を変えた。裏面(裏も表もないが)の縫い目が透けて、破線が直線に変わる。迷路のような、あるいは等高線のひかれた地形図か大都市の地下鉄の路線図のような複雑な線模様が現れた。
その複雑な線の上に映し出されているのはさっき見たのと同じ映像で、すでに知っているものなのに、さっきより一層何を見ているのかわからなくなる。刺繍の線の膨大さによって、その像の捉え難さはいっそう凄みを増すのだ。
映し出されているのは森本が日々スマートフォンで撮りためた映像だという。そこに流れているのは、彼が映像を撮った過去のとある時間だ。その流れるイメージの下には彼が刺繍を施した時間がある。そして、自分の目を通して脳内で像を捉えている現在の時間が重なる。過去と現在の異なる時間の重なりによって何か新しいイメージが結ばれそうで、しかしそれは完成することはない。見ることの戯れを楽しみ続けてしまう。
森本が他の作品で試みている、刺繍によって自他の関係性や、場所や時間という概念を確認する行為を、この作品では、私たちが、見るという行為によって主体的に実践させられているのかもしれない。
森本の新作『揺らぐ痕跡』は、そんなことを想起させる。
川や道や生物など、旅先や日常の何気ない風景を捉えた映像が大きな布に投影されている。
その布には全面に刺繍が施されている。縦横無尽に行き交うステッチ。そこに映像のイメージが重なり、互いに干渉し混ざり合い、脳内でイメージがまとまることなく脱線し続ける不思議な感覚を覚える。
そんな視覚の戯れのような体験が最初の驚きで、次の驚きは、映像が終わり投影機器が切り替わったとき。展示室には布を挟んで2台のプロジェクターが設置されており、1本の全く同じ映像が、双方の機器から交互に投影される。
光の照射方向が変わると今まで見えていた刺繍の像は姿を変えた。裏面(裏も表もないが)の縫い目が透けて、破線が直線に変わる。迷路のような、あるいは等高線のひかれた地形図か大都市の地下鉄の路線図のような複雑な線模様が現れた。
その複雑な線の上に映し出されているのはさっき見たのと同じ映像で、すでに知っているものなのに、さっきより一層何を見ているのかわからなくなる。刺繍の線の膨大さによって、その像の捉え難さはいっそう凄みを増すのだ。
映し出されているのは森本が日々スマートフォンで撮りためた映像だという。そこに流れているのは、彼が映像を撮った過去のとある時間だ。その流れるイメージの下には彼が刺繍を施した時間がある。そして、自分の目を通して脳内で像を捉えている現在の時間が重なる。過去と現在の異なる時間の重なりによって何か新しいイメージが結ばれそうで、しかしそれは完成することはない。見ることの戯れを楽しみ続けてしまう。
森本が他の作品で試みている、刺繍によって自他の関係性や、場所や時間という概念を確認する行為を、この作品では、私たちが、見るという行為によって主体的に実践させられているのかもしれない。
長尾萌佳