吉田 政博
2026年7月8日

刺し違える針、響き合う言葉―
「距離の縫合」にみる根源的な伝達
森本凌司個展『揺らぐ痕跡』(AIR motomoto)評

今回のAIR motomotoにおける森本凌司の個展『揺らぐ痕跡』の作品群は、布にシルクスクリーン技法で写真を印刷し、その上から手作業で刺繍を施すという手法をとっている。この制作技法は単なる「装飾」に留まらない。「印刷されたイメージ」と「手仕事の痕跡」という、二つの異なる時間軸を衝突・融合させる、極めて概念的な行為である。
1. 技法の二重性:機械と手仕事の対話
まず、作品群の第一の核となるのは、「シルクスクリーン印刷(機械的・大量生産的イメージ)」と「手刺繍(個人的・持続的な手仕事)」の対比である。
シルクスクリーンは、現代社会における「情報」や「イメージ」のあり方を象徴する複製技術だ。写真や雑誌の切り抜きのように、容易に複製され、大量消費されるイメージを逆手に取った表現として、ポップアート以降、美術史に深く組み込まれてきた。商業印刷と純粋芸術を差別化するため、「セリグラフ(Serigraph)」という語も用いることがあるが、本稿では、本作が「日常を切り取ったスナップ写真」を出発点としているという立場から論を進めたい。
一方、伝統的な手仕事である刺繍は、古来より布という素材に「意味」や「物語」を刻み込む行為であった。考古学的物証によれば、その歴史は文字の発生よりも遥か昔、旧石器時代(約3万年前)にまで遡る。つまり刺繍とは、物質に「手触り」と「物語」を付与する根源的な営みなのだ。
この二つの技法を重ね合わせることで、作品は「複製されたイメージ(情報)」の上に、「個人の手による解釈や感情(物語)」を上書きしていく。
2. 刺繍の歴史的文脈:装飾から「語り」へ
刺繍の起源は、動物の皮を繋ぎ合わせる「縫製」という実用的な目的であった。しかしそれは、すぐに縫い目を重ねたり貝殻を並べたりする「装飾」の喜びへと発展する。日本においては、4世紀の古墳から出土した革製の盾に三角形や菱形の刺繍模様が見られ、そこに魔除け(呪術)の意味を見出していた。このように刺繍は、単なる美的な装飾から、重要な「記録」や「メッセージ伝達の手段」へと進化してきた歴史を持つ。
西洋の中世から近世において、刺繍は貴族の衣服や宗教儀礼の布に施され、富や地位、信仰を象徴する「権威の記号」であった。同時に民俗的な文脈では、地域ごとの文様が土地の歴史や家族の物語を伝える「暗号」の役割を果たした。そして現代アートの文脈における刺繍は、「女性の労働」や「家庭的なもの」というステレオタイプを覆し、「身体性」「時間性」「手仕事の尊さ」を主張する強力な表現手段として再定義されている。
3. 写真と針と糸が紡ぐもの:「距離の縫合」をめぐって
本個展で最も目を惹くのは、巨大な作品「距離の縫合」である。
本作は、自画像と作家の祖母のポートレートが布の表裏に印刷され、色とりどりの糸で刺繍が施されている。機械によって印刷された無機質な肖像の上に、刺繍という身体的な介入を重ねることで、単なる肖像写真は「感情を帯びた記憶」へと昇華される。写真は頭の中にある「断片的な記憶」のメタファーであり、そこに手仕事が加わることで、データとしてのイメージは「布に写し取られた、生きた物語」へと変貌を遂げる。
森本氏は、本作や配偶者をモデルにした作品など、極めて身近な家族のみを対象に選んでいる。作家によれば、実在の人物の顔写真に針を突き刺す行為には、非倫理的でタブーに触れるようなセンシティブな感情を呼び起こす危惧があり、モデルを限定せざるを得ないという。人体に針を刺すという点において、タトゥー(刺青)のような身体への侵襲性を想起させる。慎重にならざるを得ないという作家の倫理観は深く頷けるものだ。
しかし、個展期間中に開催されたギャラリートークにて、過去のワークショップの映像を観た際、筆者のこの印象は変容した。
そのワークショップでは、二人一組の子どもたちが、互いの似顔絵が表裏に描かれた一枚の布を挟んで向かい合って座る。相手が針を刺すと、布を突き通して自分森本凌司個展『揺らぐ痕跡』評 2側に鋭利な先端が飛び出す。それを今度は自分が受け取り、相手側へと刺し返す。このラリーによって、顔のパーツの輪郭が糸で紡がれていく。
初見では、相手のタイミングで鋭い針が飛び出してくる光景に緊迫感を覚えた。しかし子どもたちは、まるで会話を交わすように、楽しみながらも、相手を怪我させないようゆっくりと慎重に、粛々と作業を進めていた。この光景は、人間同士の「言葉によるコミュニケーション」の在り方を鮮やかに体現しているように思えた。
言葉は、人類が発明した最も強力で、同時に最も取り扱いが難しい「諸刃の剣」である。言葉は内面を可視化し、他者と複雑な社会ルールや信頼関係を築くための唯一の手段だ。しかし同時に、言葉はニュアンスをこぼし落とす不完全なメディアでもある。「悲しい」という一言の背景にある絶望や切なさのブレンド具合は人によって異なり、時に発話者の意図を超えて相手を傷つける凶器にもなり得る。
ワークショップの子どもたちは、針で相手を傷つけまいと、動作を慎重にコントロールしていた。その時間の経過とともに、糸が互いの顔を彩り、変化させていく。それは言葉を伴わない「対話」であり、センシティブなタブーを超えた、人類の根源的なコミュニケーションの次元を提示していた。
作品「距離の縫合」の核心的な価値は、完成された作品の表層ではなく、表裏から針を刺し、糸で縫い合わせるという「制作プロセスそのもの」にある。ワークショップが他者との対話であったとするなら、作家が一人でこの作品に向き合う時間は、祖母や自身との内省的な会話の時間であったはずだ。目に見えない言葉が無数の刺繍として具現化している。
布の表裏では、同じ糸でありながら見える長さや様相が異なる。このズレこそが、コミュニケーションにおける「相互の齟齬」を象徴している。自分が発した言葉が、他者に対してすべてを伝えきれているわけではないという、伝達の不可能性と、それでもなお繋がろうとする意志が、この表裏の差異に表れている。
4. 結び
人間は集団を形成し、社会(その最小単位としての家族)を築くことで発展してきた。家族の絆は対話によって深められるが、一方で「親しき中にも礼儀あり」という格言が示すように、最も身近な関係であっても内面を完全に理解することは難しく、言葉が刃となることもある。
本作の制作プロセスを想像するとき、絵の具を塗る行為と比較して、糸を往復させる1ストロークにかかる時間は圧倒的に長い。その持続する時間の中に込められた思考の密度は、計り知れないものがある。人類が文字より先に獲得した刺繍という行為を通じ、言葉を紡ぐように一針一針に思考を込める――その表現の豊かさに触れたことは、筆者にとっても言葉の重みを再認識する貴重な機会となった。
最後に、筆者と森本氏の出会いは、2023年の「万田坑芸術祭」(荒尾市主催)に遡る。当時、招聘作家として万田坑の歴史を緻密にアナリーゼ(分析)した作品を展示し、芸術祭を大いに盛り上げていただいたことに、この場を借りて深く御礼申し上げたい。森本氏が今後、再び「AIR motomoto」で新たな滞在制作を展開されることを、心から楽しみにしている。
(了)
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