わからなさのなかで手を動かす
~森本凌司 AIR成果展『揺らぐ痕跡』を見て~

少し前の話から始めると、初めて森本くんの作品を見た時は衝撃だった。とにかくその、圧倒的な、糸を刺す行為に目を奪われた。彼はこの行為の間いったい何を考えているのだろうか。。。
森本くんが自覚的にアーティストとして活動を始めたのは、2020年頃からか。ちょうどその頃彼は別府にいて、アーティストが共同で生活をする「清島アパート」に入居していた。異なる分野の表現を行うアーティストたちとの交流の中で大いに刺激を受け、新しいメディアを取り込みながら次々と作品を制作していた。私が強く衝撃を受けた《距離の縫合》もその頃に生まれたものだ。コロナ禍で会うことができないイギリス在住のパートナーと自身の顔写真を一枚の布に両面印刷し、細かく縫い合わせた作品。また、同じ日に別府とイギリスで撮影した写真をこちらも両面 に 印 刷 し 、 様 々 な色 の糸 で 縫 い 合 わ せ た 《 記 憶 の 交 錯 》 、 そ して そ れ ら を一 冊 の 本 の よ う な 形 態 に ま と め た《ECHO》。これらの作品で一貫している「縫う」という行為は、時間や距離、記憶、境界など、時空を超えて、他者や世界との関係を把握し、それらを自身にたぐり寄せる行為であったのではないかと思う。
2023年4月、私は「Art&Garden ねこぜ」というアートスペースで、森本くんにとって初めての個展を企画した。これまで家族やパートナー、住んだことのある土地など、自身と強く結びついた対象を扱ってきた彼が、このとき発表した作品《向こうに、さす》では、「どうすれば距離のあるものに対して自分が関係あると思えるか」という問いのもと、“向こう”側にある世界を主題とした。“向こう”側とは、パソコンやスマートフォン、テレビなどの画面の向こう側にある世界で、AIが選んだ99人の顔に対して、縦横無尽に針を刺し、糸を挿していく。それは他者をたぐり寄せる行為ではなく、自身をそこへ挿入していく試みであった。画面の向こうの世界、それは自身と決して無関係ではない地続きの世界を、森本くんなりに想像しようとする無垢な行為。そのひたすらに刺し、縫う実践そのもの。そしてその痕跡こそが、作品に強度をもたらしてきたのだと思う。しかしながら、最近の森本くんの作品からは、ある種の迷いのようなものを感じざるを得なかった。縫うことはもはや特別な行為ではなく、ご飯を食べることや風呂に入ることと同じように、日常的な営みの一つになっているらしい。そのような行為を続けるなかで、森本自身もまた「いったい自分は何をやっているのだろうか」という問いに直面したのかもしれない。そして哲学書を読んだり、美学について学んだり、作品を立体へと展開してみたり、絵巻のような形式を試みたりと、実践はさまざまな方向へと広がっていった。それらは拡張であると同時に、自身の行為の根拠を探り直すための試行でもあったのだろう。私にはそれらの動きが、どこか定まりきらない、揺れを伴ったプロセスのように感じられた。
今回の展覧会タイトルは『揺らぐ痕跡』。チラシを見たとき、この「揺らぐ」という言葉が強く引っかかった。これまで見てきた彼の実践における逡巡や不確かさと、この言葉がどこかで重なって感じられたからだ。真っ白な布を用いたメインビジュアルからも、その迷いを一度引き受けたうえで、もう一度やり直そうとするような、静かな決意のようなものが感じられた。実際に会場を訪れると、その予感は裏切られなかった。手前の部屋にはこれまでの作品が形式ごとに配置され、彼の実践の軌跡が俯瞰できるようになっている。そして奥のメインギャラリーに入ると、これまでに見たことのない映像作品が現れる。荒尾、イギリス・バース、別府、高知――それぞれの土地で撮影された断片的な映像が繋ぎ合わされ、一つの流れをつくっている。そして今回は、その映像をもとに糸を縫っているという。だがそれは単なるメディアの変化ではない。映像は常に動き続け、像は定まらず、輪郭は固定されない。その不確かな像に対して針を刺し、糸を通すという行為は、これまでのように対象を捉えるものではなく、むしろ捉えきれなさの中で行われる行為へと変化しているように見えた。映像が停止し、会場の照明がついた瞬間、それまで見えていなかった無数の刺し跡が白い布の上に浮かび上がった。そのとき初めて、この作品が何であったのかを理解したように思えた。映像をなぞっていたはずの行為は、何かの像を再現するのではなく、ただ膨大な「痕跡」としてそこに残されていたのだ。

彼は本展において、その制作中も含め、自身のこれまでの実践や人生を振り返っていたのかもしれない。しかしそれは何かを明確に理解し直すためというよりも、むしろ理解しきれなさの中で、それでもなお手を動かし続けるための時間だったのではないだろうか。私たちはしばしば、自分の行為に意味や目的を求める。しかしその最中において、それらは明確には捉えられない。森本の縫うという行為は、その曖昧さや揺らぎを排除するのではなく、むしろそれを引き受けながら続けられている。白い布をベースとした今回の作品は、これまでの延長にありながらも、どこか決定的に異なる地点に立っているように感じられた。それは何かを乗り越えたというよりも、揺らぎの中にとどまり続けることを引き受けた状態である。だからこそ、そこに残された無数の刺し跡は、単なる制作の痕跡ではなく、世界や他者、そして自分自身と関係し続けようとする行為の、その持続の証のようにも、私には見えた。

家入健生
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